音楽が大好きなみのむしの日記です。バイオリンを習いながら、合奏ではヴィオラを弾いています。
2008/09/07 (Sun)
オーケストラの練習に行ってきました。
今日は、セカンドの上手な人がお休みだったので、いつもは後ろで弾いている方が
前に座って弾いていました。
入りとか、不安らしく、凄い気持ちが逃げてましたねー。(わかるわかる。)
たまには、そうやって少人数で弾くのもいいですよね。
どこに座っても、同じように弾けないとね。
それに、いつも少人数で弾いているヴィオラの気持ち、分かってくれたかな??
今日は「運命」の2楽章のボーイングが決まったのでした。
しかし…。
フレーズは分解され、弓の返し2倍。
3連符、今まで弓順のところ、全部↓↑↑。
チェロは、とりあえず今までのボーイングで弾くらしい。
どうするの?どちらで練習したらいい?
よけい混乱しそうです。
今日は、セカンドの上手な人がお休みだったので、いつもは後ろで弾いている方が
前に座って弾いていました。
入りとか、不安らしく、凄い気持ちが逃げてましたねー。(わかるわかる。)
たまには、そうやって少人数で弾くのもいいですよね。
どこに座っても、同じように弾けないとね。
それに、いつも少人数で弾いているヴィオラの気持ち、分かってくれたかな??
今日は「運命」の2楽章のボーイングが決まったのでした。
しかし…。
フレーズは分解され、弓の返し2倍。
3連符、今まで弓順のところ、全部↓↑↑。
チェロは、とりあえず今までのボーイングで弾くらしい。
どうするの?どちらで練習したらいい?
よけい混乱しそうです。
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縁
2008/09/07 (Sun)
川崎澄子さんは、家に帰ってきてからは、ほとんど寝たきりの生活でした。
それでも、一日のうちヘルパーが入る時間は、
起きて車椅子に座り、台所のいつもの自分の席で過ごしていただくようにしていました。
家政婦さんのお1人で、伊藤さんという方がいて、
この方は、介護暦30年!以前は病院の付添婦をしていたそうです。
身体は小さいし、細くて、お年も60歳を過ぎているのに、ホントにパワフル。
澄子さんの身体をベッドの上の方にずらすのに、夕子さんをまたいでベッドのうえに立って、
澄子さんの両脇に手をかけて、ヨイヤッと放り投げた(感じ)のにはびっくりしました。
経管栄養のことにも詳しくて、管がすぐ詰まってしまうのは、薬の砕き方が
悪いからとか。
私が、家政婦さんの仕事のことを知りたくて聞いていたら、
私も家政婦をやりたいと思ったらしく、事務所の連絡先やら裏事情?やら
いろいろ教えてくれました。
事務所の連絡先をくれたときは、
「いえ、直ぐにやるつもりはないから…」と言ったのですが、
「こういう仕事は、急に縁が切れるから。持っときなさい。」と。
本当にそうでした。
伊藤さんに会ったのはこのときが最後。
澄子さんは、17日の夜、一晩苦しんだ後、次の日の昼にはもう眠るように
亡くなっていたそうです。
縁は突然切れるもの。
心に残る一言となりました。
それでも、一日のうちヘルパーが入る時間は、
起きて車椅子に座り、台所のいつもの自分の席で過ごしていただくようにしていました。
家政婦さんのお1人で、伊藤さんという方がいて、
この方は、介護暦30年!以前は病院の付添婦をしていたそうです。
身体は小さいし、細くて、お年も60歳を過ぎているのに、ホントにパワフル。
澄子さんの身体をベッドの上の方にずらすのに、夕子さんをまたいでベッドのうえに立って、
澄子さんの両脇に手をかけて、ヨイヤッと放り投げた(感じ)のにはびっくりしました。
経管栄養のことにも詳しくて、管がすぐ詰まってしまうのは、薬の砕き方が
悪いからとか。
私が、家政婦さんの仕事のことを知りたくて聞いていたら、
私も家政婦をやりたいと思ったらしく、事務所の連絡先やら裏事情?やら
いろいろ教えてくれました。
事務所の連絡先をくれたときは、
「いえ、直ぐにやるつもりはないから…」と言ったのですが、
「こういう仕事は、急に縁が切れるから。持っときなさい。」と。
本当にそうでした。
伊藤さんに会ったのはこのときが最後。
澄子さんは、17日の夜、一晩苦しんだ後、次の日の昼にはもう眠るように
亡くなっていたそうです。
縁は突然切れるもの。
心に残る一言となりました。
2008/09/06 (Sat)
今日は、ちょうどおやつの時に行きました。
少し小さめの肉まんでした。
なかなか美味しそうでした!
おばあちゃん、ニコニコしながら、本当に美味しそうに食べていました。
「美味しい?」と聞いても、ニコニコするばかりで、何も答えてくれませんでしたが。(笑)
今日のおばあちゃんは、とてもとても、
そんな重大な病気を抱えている人には見えませんでした。ホントに!
少し小さめの肉まんでした。
なかなか美味しそうでした!
おばあちゃん、ニコニコしながら、本当に美味しそうに食べていました。
「美味しい?」と聞いても、ニコニコするばかりで、何も答えてくれませんでしたが。(笑)
今日のおばあちゃんは、とてもとても、
そんな重大な病気を抱えている人には見えませんでした。ホントに!
■
24時間介護
2008/09/06 (Sat)
24時間、つきっきりで介護をする場合は、家政婦さんの出番です。
澄子さんのケースでは、
22時間は家政婦さん、残りの2時間はヘルパー、となりました。
家政婦さんは7日交代で、ヘルパーがいる間は外出できます。
澄子さんのお宅は、坂の上に建っているので、階段を15段ほど
登らなくてはなりません。
最初の家政婦さんは、細かいことまでキッチリやられる、優秀な方でした。
退院前にも指導を受け、いざ退院のときは、澄子さんをおんぶして
階段を登ったそうです。
それから、7日間、食べ物を飲み込むことができないため、経管栄養で薬を入れ、
栄養剤を入れ、痰の吸引、おむつ替え、清拭、着替え。
それで上手く回っていけば良かったのですが、思わぬ落とし穴が。
痰の吸引のとき、鼻から腸(胃はないので)まで入れてある管が一緒に
出てきてしまうことが何度もあったのです。
その度に、主治医の先生のところまで行かなくてはなりません。
おんぶして階段降りて、車に乗って、待って、受診して、またおんぶして階段登って。
ああ、本当に大変!
その家政婦さんは、7日目が終わったら辞めていかれました。
澄子さんもまた、きつかったことでしょう!
その後は、何人かの家政婦さんが来ましたけど、なかなか皆さん
クセのある人ばかりでした。(ここだけの話)
中でも困るのは、家政婦さん同士仲が悪いこと。
他の、今まで自分が仕事で行った先の家のことを、得意げに喋りまくること。
(家政婦さんとヘルパーでは、かなり雰囲気が違いますね。)
川崎さん、随分参ってましたね…。
澄子さんのケースでは、
22時間は家政婦さん、残りの2時間はヘルパー、となりました。
家政婦さんは7日交代で、ヘルパーがいる間は外出できます。
澄子さんのお宅は、坂の上に建っているので、階段を15段ほど
登らなくてはなりません。
最初の家政婦さんは、細かいことまでキッチリやられる、優秀な方でした。
退院前にも指導を受け、いざ退院のときは、澄子さんをおんぶして
階段を登ったそうです。
それから、7日間、食べ物を飲み込むことができないため、経管栄養で薬を入れ、
栄養剤を入れ、痰の吸引、おむつ替え、清拭、着替え。
それで上手く回っていけば良かったのですが、思わぬ落とし穴が。
痰の吸引のとき、鼻から腸(胃はないので)まで入れてある管が一緒に
出てきてしまうことが何度もあったのです。
その度に、主治医の先生のところまで行かなくてはなりません。
おんぶして階段降りて、車に乗って、待って、受診して、またおんぶして階段登って。
ああ、本当に大変!
その家政婦さんは、7日目が終わったら辞めていかれました。
澄子さんもまた、きつかったことでしょう!
その後は、何人かの家政婦さんが来ましたけど、なかなか皆さん
クセのある人ばかりでした。(ここだけの話)
中でも困るのは、家政婦さん同士仲が悪いこと。
他の、今まで自分が仕事で行った先の家のことを、得意げに喋りまくること。
(家政婦さんとヘルパーでは、かなり雰囲気が違いますね。)
川崎さん、随分参ってましたね…。
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帯状疱疹
2008/09/05 (Fri)
澄子さんのその後。
いざ書こうとしたら、あまり経過を把握していないことに気づきました。
今日ちょうど川崎さんのお宅に伺ったので、入院時の様子を聞いてみました。
最初は、「どうして?」と聞かれましたが、
「いろいろ書き残しておきたいと思って」というと、
日記帳を出してきて、見せてくれました。
7月に入院、点滴治療を受ける。
飲み込めないため、鼻から管を通して行う経管栄養。
それでも、個室のトイレには自分で行っていたし、お風呂も入っていたそうです。
9月に入ると退院の話が出て、末には退院と決まり、私たちもそのつもりでいました。
そうしたら、退院の1週間ほど前から体調が悪くなり、首筋にぼつぼつが出て、
皮膚科を受診したところ、ヘルペスの診断。
帯状疱疹でした。
左側のみ、頭から出てしまったそうです。
退院は取り止め。そこから2週間点滴治療。
その間に随分弱ってしまわれた。
病後だったり、連れ合いを亡くされたりして弱っているとき、
帯状疱疹が出ることは多いです。
前に腕に出た方は、「腕が痛いわ。」と言っているうちに、ボロボロと出て
そのまま薬も飲まないで治ってしまった。
この方は、本当に軽く済んでよかったです。
私の実家の母も、旦那(父です)がもう最期、というとき、帯状疱疹が出てしまいました。
姉と私は、交代で父についていたので、母は薬をもらって家で寝ていました。
「とにかく寝てて!」って感じで。
それで澄子さんですが、それでも何とか治って、10月26日には退院となりました。
車椅子が多いけれど、まだご自分で歩くことはできました。
澄子さんが亡くなったのは12月18日。
退院してから2ヶ月弱の間、自宅で24時間介護を受けられたのでした。
いざ書こうとしたら、あまり経過を把握していないことに気づきました。
今日ちょうど川崎さんのお宅に伺ったので、入院時の様子を聞いてみました。
最初は、「どうして?」と聞かれましたが、
「いろいろ書き残しておきたいと思って」というと、
日記帳を出してきて、見せてくれました。
7月に入院、点滴治療を受ける。
飲み込めないため、鼻から管を通して行う経管栄養。
それでも、個室のトイレには自分で行っていたし、お風呂も入っていたそうです。
9月に入ると退院の話が出て、末には退院と決まり、私たちもそのつもりでいました。
そうしたら、退院の1週間ほど前から体調が悪くなり、首筋にぼつぼつが出て、
皮膚科を受診したところ、ヘルペスの診断。
帯状疱疹でした。
左側のみ、頭から出てしまったそうです。
退院は取り止め。そこから2週間点滴治療。
その間に随分弱ってしまわれた。
病後だったり、連れ合いを亡くされたりして弱っているとき、
帯状疱疹が出ることは多いです。
前に腕に出た方は、「腕が痛いわ。」と言っているうちに、ボロボロと出て
そのまま薬も飲まないで治ってしまった。
この方は、本当に軽く済んでよかったです。
私の実家の母も、旦那(父です)がもう最期、というとき、帯状疱疹が出てしまいました。
姉と私は、交代で父についていたので、母は薬をもらって家で寝ていました。
「とにかく寝てて!」って感じで。
それで澄子さんですが、それでも何とか治って、10月26日には退院となりました。
車椅子が多いけれど、まだご自分で歩くことはできました。
澄子さんが亡くなったのは12月18日。
退院してから2ヶ月弱の間、自宅で24時間介護を受けられたのでした。
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女性
自己紹介:
mizumo みのむしです。
ヴァイオリンを習いながら、
合奏ではヴィオラを弾いています。
介護の仕事(在宅)をしていました。
22年4月からは介護保険関係の事務になります。
都合の良いことだけ、都合の良いよ~に書いてます。
どうぞ、読み飛ばしてくださいね~!
ヴァイオリンを習いながら、
合奏ではヴィオラを弾いています。
介護の仕事(在宅)をしていました。
22年4月からは介護保険関係の事務になります。
都合の良いことだけ、都合の良いよ~に書いてます。
どうぞ、読み飛ばしてくださいね~!
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