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音楽が大好きなみのむしの日記です。バイオリンを習いながら、合奏ではヴィオラを弾いています。
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2008/09/09 (Tue)
この前、ばったり佐々木さんの奥さんにお会いしました。(70歳前くらいかな?)

佐々木さんのご主人は、肺に腫瘍があるのと、C型肝炎があります。
それと、間歇性破行。

間歇性跛行とは、最初は普通に歩けますが、少し歩くと突然歩けなくなるというもの。
足の血流がもともと悪いためになるらしい…とは知っていましたが。

私が佐々木さんのお宅に、ヘルパーとして行っていたのは、もう2~3年前のことです。
ご主人が電動車椅子で出かけるとき、お供をしていました。

その日は、一緒に散歩には出かけずに家の中の仕事をしました。

私が帰るとき、急に思いついて、お二人も一緒に地下鉄の所まで行くことになりました。

なんだか、今にも雨が降ってきそうな天気。
でも、駅はすぐ近くだから。行ってしまえば濡れないから。

それに、ちょっと歩いてみようか、と車椅子を置いて家を出ました。

マンションの部屋を出て、エレベーターに乗って、下まで降りたとき、
奥さんが、「やっぱり心配だから車椅子取ってくるわ。先行ってて。」と戻られました。

そこから駅までは、ほんの3分くらいの距離。

最初は普通にお喋りしながら歩いていましたが、あともう少し!というところで、
佐々木さんの足は、ピタッと止まってしまいました。

おまけに雨がポツポツ降ってきて。
走れば、10歩くらいで屋根の下に入れるのにー。

佐々木さん、すぐ横にあった階段に座り込んでしまうし。
もう、どうなることか、と思いました。

頭に雨がかからないようにするのが精一杯。

でも、そのすぐ後に、奥さんが車椅子を押しながら追いついてくれました。
ちゃんと傘まで持って!

奥さんが、どんなに頼もしく思えたことか…。

子供さんがなくて、とても仲の良いご夫婦です。
最近は、ご主人は、ベッドで過ごすことが多いとのこと。

奥さん、サバサバ話してましたが。

間歇性跛行、あなどるなかれ…です。


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2008/09/07 (Sun)
川崎澄子さんは、家に帰ってきてからは、ほとんど寝たきりの生活でした。

それでも、一日のうちヘルパーが入る時間は、
起きて車椅子に座り、台所のいつもの自分の席で過ごしていただくようにしていました。

家政婦さんのお1人で、伊藤さんという方がいて、
この方は、介護暦30年!以前は病院の付添婦をしていたそうです。

身体は小さいし、細くて、お年も60歳を過ぎているのに、ホントにパワフル。
澄子さんの身体をベッドの上の方にずらすのに、夕子さんをまたいでベッドのうえに立って、
澄子さんの両脇に手をかけて、ヨイヤッと放り投げた(感じ)のにはびっくりしました。

経管栄養のことにも詳しくて、管がすぐ詰まってしまうのは、薬の砕き方が
悪いからとか。

私が、家政婦さんの仕事のことを知りたくて聞いていたら、
私も家政婦をやりたいと思ったらしく、事務所の連絡先やら裏事情?やら
いろいろ教えてくれました。

事務所の連絡先をくれたときは、
「いえ、直ぐにやるつもりはないから…」と言ったのですが、
「こういう仕事は、急に縁が切れるから。持っときなさい。」と。

本当にそうでした。

伊藤さんに会ったのはこのときが最後。
澄子さんは、17日の夜、一晩苦しんだ後、次の日の昼にはもう眠るように
亡くなっていたそうです。

縁は突然切れるもの。
心に残る一言となりました。
2008/09/06 (Sat)
今日は、ちょうどおやつの時に行きました。

少し小さめの肉まんでした。
なかなか美味しそうでした!

おばあちゃん、ニコニコしながら、本当に美味しそうに食べていました。
「美味しい?」と聞いても、ニコニコするばかりで、何も答えてくれませんでしたが。(笑)

今日のおばあちゃんは、とてもとても、
そんな重大な病気を抱えている人には見えませんでした。ホントに!
2008/09/06 (Sat)
24時間、つきっきりで介護をする場合は、家政婦さんの出番です。

澄子さんのケースでは、
22時間は家政婦さん、残りの2時間はヘルパー、となりました。
家政婦さんは7日交代で、ヘルパーがいる間は外出できます。

澄子さんのお宅は、坂の上に建っているので、階段を15段ほど
登らなくてはなりません。

最初の家政婦さんは、細かいことまでキッチリやられる、優秀な方でした。

退院前にも指導を受け、いざ退院のときは、澄子さんをおんぶして
階段を登ったそうです。

それから、7日間、食べ物を飲み込むことができないため、経管栄養で薬を入れ、
栄養剤を入れ、痰の吸引、おむつ替え、清拭、着替え。

それで上手く回っていけば良かったのですが、思わぬ落とし穴が。

痰の吸引のとき、鼻から腸(胃はないので)まで入れてある管が一緒に
出てきてしまうことが何度もあったのです。

その度に、主治医の先生のところまで行かなくてはなりません。
おんぶして階段降りて、車に乗って、待って、受診して、またおんぶして階段登って。
ああ、本当に大変!

その家政婦さんは、7日目が終わったら辞めていかれました。
澄子さんもまた、きつかったことでしょう!

その後は、何人かの家政婦さんが来ましたけど、なかなか皆さん
クセのある人ばかりでした。(ここだけの話)

中でも困るのは、家政婦さん同士仲が悪いこと。
他の、今まで自分が仕事で行った先の家のことを、得意げに喋りまくること。
(家政婦さんとヘルパーでは、かなり雰囲気が違いますね。)

川崎さん、随分参ってましたね…。
2008/09/05 (Fri)
澄子さんのその後。

いざ書こうとしたら、あまり経過を把握していないことに気づきました。
今日ちょうど川崎さんのお宅に伺ったので、入院時の様子を聞いてみました。

最初は、「どうして?」と聞かれましたが、
「いろいろ書き残しておきたいと思って」というと、
日記帳を出してきて、見せてくれました。

7月に入院、点滴治療を受ける。
飲み込めないため、鼻から管を通して行う経管栄養。

それでも、個室のトイレには自分で行っていたし、お風呂も入っていたそうです。

9月に入ると退院の話が出て、末には退院と決まり、私たちもそのつもりでいました。

そうしたら、退院の1週間ほど前から体調が悪くなり、首筋にぼつぼつが出て、
皮膚科を受診したところ、ヘルペスの診断。

帯状疱疹でした。
左側のみ、頭から出てしまったそうです。

退院は取り止め。そこから2週間点滴治療。
その間に随分弱ってしまわれた。

病後だったり、連れ合いを亡くされたりして弱っているとき、
帯状疱疹が出ることは多いです。

前に腕に出た方は、「腕が痛いわ。」と言っているうちに、ボロボロと出て
そのまま薬も飲まないで治ってしまった。
この方は、本当に軽く済んでよかったです。

私の実家の母も、旦那(父です)がもう最期、というとき、帯状疱疹が出てしまいました。
姉と私は、交代で父についていたので、母は薬をもらって家で寝ていました。
「とにかく寝てて!」って感じで。

それで澄子さんですが、それでも何とか治って、10月26日には退院となりました。
車椅子が多いけれど、まだご自分で歩くことはできました。

澄子さんが亡くなったのは12月18日。
退院してから2ヶ月弱の間、自宅で24時間介護を受けられたのでした。
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みのむし
性別:
女性
自己紹介:
mizumo みのむしです。

ヴァイオリンを習いながら、
合奏ではヴィオラを弾いています。
介護の仕事(在宅)をしていました。
22年4月からは介護保険関係の事務になります。

都合の良いことだけ、都合の良いよ~に書いてます。
どうぞ、読み飛ばしてくださいね~!
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